心を奪われて。

しがないジャニーズファンの叫びとか呟きとか。

そこに居たのは、間違いなく「ロミオ」だった。

 

 

 

4月10日

道枝駿佑主演

ロミオとジュリエット

観劇してまいりました!!!!

 

 

 

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今更だなんて言わないで。

私が1番思ってるので。

 

 

 

実際には下書きに現場レポの書き途中の記事が沢山あるのですが、どれも書き切ることがなく、、、、

というのも、私は現場、特に舞台に対するレポを書くのがあまり得意ではなくて。感じたもの、受け取ったものを上手く文章に起こそうにもあそこでしか感じることの出来ない感覚をどう伝えていいか迷ってしまうんです。

 

 

とはいえ、その感情をここに記しておかないのが1番失礼な気がするので大急ぎで振り返りたい。Let's 感情大決算!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

発表された時の衝撃は、それはそれはえげつない感情になった。

「自担が、、、ロミジュリ、、、、????」

「つまりは、、、キス、、、?????」

直ぐにこの感情に直結してしまった私をどうか許して欲しい。オタクだって女の子だもの。

 

準備期間から沢山のことを道枝さんは雑誌やブログでお話してくれていたのだけれど、話を聞くだけでもとても大変そうで凄く体調を心配していた。舞台演出はのんちゃんの「エレファントマン」をされていた森新太郎さん。すごく厳しいという話は聞いていたから余計に。

けれどそれと同時に楽しみでもあった。それまではずっと映像作品で見ていた道枝駿佑の演技が、舞台ではどのように輝くのか。加えて道枝さんは現代の思春期な青年を演じることが多いから、シェイクスピアの描く中世の愛に溺れる熱い青年を演じることが新鮮でわくわくでいっぱいだった。

 

席はまさかの1階席の左ブロック1列目。正面からの演技や全体像は見えにくいものの、演出で使うのであろう階段はすぐ近く。何故か自担の舞台の席運だけはいいのが、余すことなく発揮された。

 

まず驚いたのが、舞台の冒頭。

 

花の都のヴェローナ

肩を並べる名門二つ

古き恨みが今またはじけ

町を巻き込む血染めの喧嘩。

 

敵同士の親を持つ

不幸な星の恋人たち

哀れ悲惨な死を遂げて

 親の争いを葬ります。

 

これよりご覧に入れますは

死相の浮かんだ恋の道行き

そうしてまた、子供らの死をもって

ようやく収まる両家の恨み。

 

二時間ほどのご清聴頂けますれば

訳者一同、力の限り務めます。

(翻訳によってニュアンスが違いますので、使われたのがこの文章ではないかもしれませんが。)

 

戯曲「ロミオとジュリエット」に実際に書かれているプロローグでの序詞役のセリフから舞台は始まる。ロミジュリの話の全体像自体は調べてから観劇したのだが、このプロローグの存在を知らず、とてもビックリした。でもびっくりしたのはプロローグの存在ではなくて、発せられた声の圧倒的圧力感。今まで舞台は裕翔さん主演の3人での会話劇「WILD」しか観劇したことがなかった為、あまり感じることが無かった「舞台役者の声の太さと質感」をひしひしと感じた。舞台と映像作品では声の出し方が全く違うとよく聞くけれど、その差をはっきりと理解した瞬間だった。初めは中央にいた1人が読み、段々と人数が増え、声はどんどん大きく太く轟かせていく。女性も男性も関係ない、強い声に圧倒され、その魅力に惹き付けられた。

そしてプロローグの内容にも驚いた。雑な言い方をしてしまえば、最初にネタバラシをしてしまうのだから。そこがシェイクスピアならではの皮肉を持った言葉選びと演出方法で面白いなと思った。

 

こうして始まった、舞台の本編。

自担のロミオ姿なんて、もう二度と見ることができないだろうからオタクとしてしっかりと「ロミオ 道枝駿佑」の姿を目に焼き付けようと思っていた。

けれどそんなことを考える暇もなく、私は「道枝駿佑」ではなく「ロミオ」として観てしまった。これは勿論ネガティブな意味ではなくて、とてもポジティブな意味で。「アイドル 道枝駿佑」という人格を忘れてしまうほどに惹き込まれる演技だった。ロザラインとの恋に苦しみ、ジュリエットとの恋に喜び、時に叫び、時に涙する。私には「ロミオ」にしか見えなくて、そこには「道枝駿佑」は存在していなかった。だから今、ビックリするくらい「オタクとしての」感想が出てこないのである。一番最初に後ろから登場したロミオを見て一言、「高っ、長っ、白っ、綺麗だなおい」と思ったのが最後。

「一観劇者」として、すごく素敵だと感じたのは、セットロミオとジュリエットが一夜を過ごすシーン。舞台上には、白いスポットライトに照らされた椅子と2人だけ。神秘的で、儚くて、見えるのは2人の輪郭だけなのにすごく美しかった。そしてラストシーンでの蝋燭と暗がりに光る白い光。ロミオとジュリエットの最期の儚さと哀しみがギュッと凝縮されているような演出で美しかった。他にも、左右にある塀を動かして、バルコニーを作ったり料理人の忙しさを表現してみたり薬屋の戸に使ったり。たった2つの塀でこんなにも工夫できるのかと感動した。

 

共演されている俳優さん、女優さんも素敵な方ばかりで。私は演技に全く詳しくないので上手い下手だとかそんなことは分からないのですが、ただひたすらに迫力があった。強い性根を持つ役柄である役者さんの放つオーラは勿論のこと、乳母役の方の優しいコミカルなキャラクターの中にも、しっかりとした迫力があった。ジュリエットの近くでしっかりと構えているような、舞台全体を役者さんとして支えているような、そんな迫力。ジュリエット役の茅島みずきさんも、可愛らしい登場の仕方をしたりばあやに対しての可愛い甘え方をする役柄ではあるが、眼差しの強さから伝わる愛の大きさは計り知れないものだったし、ジュリエット同様、舞台上でとても堂々していた。あの可愛らしい部分もある、凛とした眼差しと強さは誰もが憧れる姿だと感じた。ぴったし同年代なのでジュリエット役であることを見た時はちょっぴり羨ましく思ったりもしたけれど、「この人には勝てないな」どころか「こんな風にかっこいい姿になりたい」とすら思った。舞台が決まった時にちょっと悲しんじゃってごめんなさい、と言いたい。

 

私はシェイクスピアの言葉が好きでよく名言集を調べたり見たりする。シェイクスピアの言葉の選び方はどこを切り取っても美しい。情景がイメージできる上に、人間特有の複雑に絡まり合う感情を端的に形容詞で表現しないところがとても魅力的。けれど言い回しはとても難しいのが特徴で、その台詞を全てやりきった道枝さんは本当にすごいと思う。そして、今までの道枝駿佑では見たことの無い演技だった。あんな情熱的な叫び声や感情の波の起伏の大きさは、普段の道枝駿佑でも映像作品の道枝駿佑でも見ることができないからとても新鮮だった。でもやっぱりそれを感じたのは、YouTubeでのダイジェストを見てからで、観劇している時は「道枝駿佑」の影が1ミクロンも見えなかった。あのダイジェスト映像を見て、「あんな風に声が出せるんだ」「こんな表情で泣くんだ」と違う感動が生まれた。

 

 

Twitterのレポで声をすごく枯らしていることを知りすごく心配になったが、頑張っている証拠だなあと思ったり。ロミジュリ後の撮影だったのであろう、手ピカジェルのCMの声がガサガサなことにも愛着が湧いたり。ロミジュリ終了後の「なにわ動画」で見せてくれたノートに感動しつつも、字の汚さに爆笑したり。私の方が歳下ではあるけれど、道枝駿佑の成長を勝手に感じた舞台でもあり、なんだかとても微笑ましかったなと思う。

 

 

 

舞台本編が完結した後にはなんと、ダンスシーンがあった。

そこで道枝駿佑の笑顔を見てやっとオタクとしての自我を取り戻した私は、もうお遊戯会に来た母親状態。マスクの下の顔のニヤニヤは止まらず、手の叩き方は幼稚園児をあやすかのよう。2階席の右ブロックで感激していた母親に「ダンスシーンになった瞬間、親の顔になってウキウキしながら手叩いてたでしょ」と笑われるほど。舞台中の一種の緊張感から解き放たれたのもあってか、異常にウキウキしてしまって本当に道枝担失格だと思う。ごめんね。

 

 

 

 

 

 

拙い言葉と圧倒的語彙力欠如の中でお送りしたブログなので、分かりづらいところだらけだったかもしれませんが、、、、、

 

 

とにかく、すごくすごく、美しくて儚くて強さのある舞台でした。シェイクスピアの舞台、もっと観てみたいなあと感じました。(小学生の感想文)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張って全部の現場分投稿します。

 

 

 

 

多分。

 

 

 

 

、、、、、、、多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは。